司馬遼太郎が歩いた“肥薩のみち”をゆく。
2009年05月21日


「肥薩のみち」は、深緑の野山の果てに、火山の白煙がたなびくような場所に行こうと、司馬遼太郎自身が選んだ道行きだ。球磨の静かな山里をたゆたう、翡翠(ひすい)色の球磨川沿いを蛇行しながら、一行は進む。彼らの目線の先には、盆地に細々と切り開かれた水田があった。司馬はその風景を「球磨の山襞(ひだ)で鍬をふるっていれば、天は紺の千代紙のように小さい」と、著わしている。しかし、一見不憫にも思える盆地は、「日本一豊かな隠れ里」と称されるほど、豊穣の地であった。山峡には深い川霧が立つ、ゆえに球磨の米は旨い。この小さき豊かな田を繋ぎ、また球磨びとたちを繋ぐものは、ただ一つ、球磨川であると、司馬は物語る。
石積みの棚田が随所に見られる人吉球磨地方

球磨川を右手に、左手に望みながら、
「肥薩のみち」は続く

(左)司馬遼太郎が宿泊したという「芳野旅館」の入口には、馬酔木の花を愛でる足湯がある
(右)球磨川沿いに点在する温泉は、湯が軟らかくすべすべの肌に


(左)司馬遼太郎が宿泊したという一室
(右)「芳野旅館」の一室は文化人御用達。
苔むした中庭を眺めて、作品を練る人も多かったという

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