湯の町に残る蘇峰の面影をたどる町歩き。
2009年04月02日


言論家、歴史家、そして文筆家として知られる徳富蘇峰―。5歳年下の弟には、「不如帰(ほととぎす)」で人気を博した文豪・徳富蘆花がいる。蘇峰が生まれたのは1863年。水俣の士豪・徳富家には4人の娘がおり、待望の男子誕生に両親の喜びは一方ならぬものがあった。父・一敬は横井小楠門下であり、我が子を精神性高く育てる。蘇峰は6歳の頃には、父の膝の上に座り、漢詩を読んでいたという。また、土蔵造りの我が家の2階の窓から、足を突き出して遊んでは、母・久子の叱責を受けて、蔵に入れられたり、果ては酒樽に押し籠められたりと、やんちゃぶりを発揮した。その元気がやがて、日本を変える原動力となった。

(写真上)徳富蘇峰(1863~1957)。「國民之友」で森鴎外、
二葉亭四迷などを世に送り出した
(写真下)徳富蘆花(1868~1927)「不如帰」「自然と人生」
で文壇の名声を確固たるものにした
二葉亭四迷などを世に送り出した
(写真下)徳富蘆花(1868~1927)「不如帰」「自然と人生」
で文壇の名声を確固たるものにした

「将来之日本」で論壇に登場した蘇峰は、日本初の総合雑誌「國民之友」や「國民新聞」を発刊し、戦時下においても、堂々と所信表明を行うため、暴徒に襲われることもあった。織田信長時代から西南戦争までを綴った「近世日本国民史」全100巻の執筆にかけた年月は34年。完結した時、蘇峰は89歳になっていた。
蘇峰は折にふれ、故郷・水俣を訪ねている。湯の児温泉へ足を運んでは、東屋に腰掛けて、のどかに寄せては返す波を飽きることなく眺めていたという。
湯の児温泉の宿には、随所に蘇峰直筆の書が残されている。地元の温泉郷を愛した翁の軌跡は、その穏やかな笑顔を偲ぶ写真とともに、今も水俣の宝として語り伝えられている。
(左)湯の児温泉全景。海に落ちる夕日は圧巻(左下)「平野屋」に寄贈された蘇峰直筆の額。「平埜君へ」と記されている
(右下)蘇峰が宿泊した客室



(右)蘇峰ゆかりの「町立淇水文庫」は、
現在「水俣市立蘇峰記念館」に
(左)土蔵造りの生家
現在「水俣市立蘇峰記念館」に
(左)土蔵造りの生家


(左)泉質は含食塩重曹泉。
別名「美肌の湯」とも呼ばれている
(下)街角に湧き出る湯が、
温泉郷に情緒を添える


(左)湯処ならではの風情・温泉神社が佇んでいる
(右)温泉街の通りはどこか昔懐かしい
【取材協力】
平野屋 水俣市湯の児1213 TEL 0966-63-2161(※素泊まりのみ、要問合せ)
徳富蘇峰・蘆花生家 水俣市浜町2-6-5 TEL 0966-62-5899
この記事へのトラックバックURL
http://campaign.kumamoto-kankou.com/t4003
※このエントリーではブログ管理者の設定により、ブログ管理者に承認されるまでコメントは反映されません


