熊本の観光情報が集まる「くまもと観光キャンペーンブログサイト」です。
熊本を楽しむ旬の情報、みなさんからのくちコミ情報をお届けします。

2008年09月07日

川尻桶

気の呼吸に耳を澄ませ 生きた桶を作りあげていく。
「職人の勘一つ」が勝負の世界。


 川尻町の加勢川河畔、昔は船着場があり、熊本の交通の要所の一つだった。
運び込まれる木材や鋼材を使い木工や鍛冶をはじめとする職人の町として、川尻町は繁栄を極めたという。
その中でも川尻桶と称される木工細工は、今も数人の職人たちの手で受け継がれている。

 桶の作り方といえば、何となく想像は着くものだが、その精密な作業は半端ではない。
乾いた椹(さわら)の原木を切り、桶の大きさに合わせてカンナで削っていく。
曲線と直線のバランスを操るのは、まさに職人の勘一つ。膨張と乾燥を繰り返す木は生きており、その呼吸に耳を傾けながら桶としての命を吹き込んでいく。
それができて一人前の世界が、ここにある。


桶からおひつ、漬け物まで幅広い注文が相次ぐという。
材料の切り出しから、磨き上げまで全て手作業だけに、生産できる量も限られてしまう


(左)今年94歳になるという伊津野晋さん。
数百年続いているという家業を守り、伝統の技を披露している。
(右)先祖代々受け継がれてきた「鎌」と呼ばれる定規


白壁の土蔵が並ぶ川尻町の一角。
古き良き時代を偲ばせている


きんと冷えたラムネは夏の風物詩。
熊本市新町にある「双葉食品工業所」では、昔ながらのラムネを作り続けている。
青碧に透き通るガラスの瓶も、今では珍しい。
飲み口までガラスでできており、ごくりと飲み干すときに中のビー玉がカラリと音を立てる。
強過ぎない炭酸と程良い甘さ、そしてレトロな風情に人気が高まっているそうだ。
さて、若い人は、ビー玉に邪魔されないラムネの飲み方を知っているだろうか  続きを読む

Posted by (社)熊本県観光連盟 at 12:00
Comments(0)TrackBack(0)歴史・文化

2008年09月07日

小代焼(しょうだいやき)

四〇〇年の歴史が育んだ小代の“宝”を見た。
唯一無二の一作に出会う喜び。


 軽やかな白磁の器に対して、小代焼には、土ならではの重厚な力がある。
土が持つ温もりにその歴史の重さまで感じさせるような器。
しかし、その表情は、まるで喜怒哀楽さえも表現しているような豊かな趣きに満ちている。

 小代焼の歴史は古く、この地では奈良時代には須恵器も製陶されていたというから驚きだ。
やがて、加藤清正が朝鮮出兵後に陶工を招き入れ、小代山麓に肥後焼を開窯。清正の御用窯として厚く保護されたという。
小代焼の魅力の真髄は「暮らしの器」である。
かの柳宗悦が小鹿田焼に見出した“用の美”は、小代焼にも当てはまる言葉ではないだろうか。
文様を成す「白」と「蒼」に、心奪われずにはいられない。



熊本が誇る銘品の一つに長洲金魚がある。
愛らしい琉金(りゅうきん)やランシュウ、シシガシラなどを求めて、全国から愛好者が足を運ぶ知る人ぞ知る産地だ。


(左)「小代焼 ふもと窯」の井上泰秋さん作陶50年、この地を愛し、小代焼の歴史を深く掘り下げながら、本物を追求する姿勢は変わらない。
日本民藝館賞など受賞多数
(右)登り窯には火入れを持つ作品が並んでいた。
一つひとつの作品を見極めながら、納得のいくものだけを作り続ける


(左)「天障院篤姫」が江戸に輿入れする際にも足を止めたことがわかり、篤姫ファンも足を運んでいる。
縁側から見える南関富士こと、大津山の雄姿は当時のまま
(右)玉名郡南関町にも小代焼の窯元が点在している。
細川藩藩主が参勤交代時に立ち寄った「南関御茶屋跡」では抹茶のサービスも  続きを読む

Posted by (社)熊本県観光連盟 at 11:00
Comments(0)TrackBack(0)歴史・文化

2008年09月07日

天草白磁(あまくさはくじ)

純白に輝く“天草の白い宝石”磁器の持つ美を最大限に引き出した鮮やかな藍の文様が涼を呼ぶ。



 紺碧の東シナ海を望む天草西海岸は、古くから陶芸の里として栄えてきた。
受け継がれてきた伝統工芸を軸に、近年では新しい陶芸の可能性を求める若き陶芸家たちが居を構え、斬新な作品も生み出されている。

 天草は上質な陶石の産地であり、かの平賀源内が「陶器土、右之土天下無双の上品に御座候」と、絶賛したほどだ。
不純物が少ない天草陶石を用いて焼き上げた磁器は、硬質で透き通るほど美しい。
海中をたなびく海藻のミルを文様に施した白磁の皿は、どこか涼しげな表情をしている。


(左)いくつもの窯元が点在する苓北町は、海産物も名産の一つ。
採れたての階層を干す風景も見ることができる
(中)高浜焼のピアグラス。白い肌に手描きのブドウ柄が浮かび上がる
(右)素焼の器を天日に干す。海から吹いてくる風が心地よい。
磁器だけでなく陶器も受け継がれているのが、天草の焼き物の大きな特長だ  続きを読む

Posted by (社)熊本県観光連盟 at 10:00
Comments(0)TrackBack(0)歴史・文化

2008年09月07日

伝統の匠から生まれる涼を尋ねて

古くから受け継がれてきた伝統工芸は、暮らしの中で育まれてきたものだ。
五感で涼を感じさせてくれるような民藝を訪ね、町をぶらり歩こう。  

Posted by (社)熊本県観光連盟 at 09:00
Comments(0)TrackBack(0)歴史・文化

2008年09月03日

天草四郎の闘い、旅に出た信者たち

飢饉に苦しむ農民を苦しめた重い年貢とキリシタン弾圧。
1637年秋、島民たちは一揆を企てる。
それは16歳の天草四郎を指揮官とする「天草・島原の乱」へつながっていく。
天草一揆軍は難攻不落といわれた富岡城を攻め、落城寸前まで追い詰めるが、そこに城側の援軍である九州諸藩が駆けつける。
一揆軍は富岡城から撤退、有明海を渡って対岸の島原半島に移動。
廃城となっていた原城址に籠城する。
「 相手は武士ではない、すぐに終わるだろう」と見ていた幕府側だったが、信仰と熱い思いで結束していた一揆軍の抵抗はすさまじい。
多説あるものの女性、子どもを含めて約3万7000人の一揆軍に対して、幕府は総勢12万人以上を動員、4カ月後の1638年2月28日にやっと終結した。
その後、幕府は天草を天領の地として代官を置いた。
キリシタンの弾圧も厳しく行い、島
内には大きな寺の建立も行われている。
島内に残ったキリシタンたちは、キリスト教徒であることを隠し、ひっそりと生きいく。
それを隠れキリシタンたちは「旅に出る」と言い、その生活は明治維新直後まで続く。
天草の資料館などには「踏み絵」や「隠れマリア像」など、旅に出た人たちの信仰に寄せた思いが展示されている。  

Posted by (社)熊本県観光連盟 at 09:00
Comments(0)TrackBack(0)歴史・文化